がんの“イタミ”と闘うプロフェッショナルたち


オレンジサークルの現場から 在宅でがん治療を続けるために チームが「連携」のコーディネーター

File No.003 千葉県がんセンター 緩和ケアチーム(週刊新潮2009年7月9日号に掲載)
千葉県がんセンター(341床)は、県内唯一の都道府県がん診療連携拠点病院。限られた入院ベッドに最先端の治療を求めて多くの患者が集まる。「地域連携を強化することで、入院だけでなく在宅でも治療を続けられるようにしたい」外来を中心に活動を始めた緩和ケアチームを取材した。

千葉県がんセンターでは、外来診療で化学療法を受ける患者が10年間で約4倍に急増、2008年度は年間約1万5000件に達した。
近年、がん患者の増加と専門治療施設の不足で、全国のがんセンターには患者が集中。1人でも多くの患者を診るために、外来と入院の役割を分ける必要があった。
緩和医療科の坂下美彦(さかしたよしひこ)医師は、増え続ける患者を前にして焦りを感じていた。「外来でがん治療を続けるための環境作りが必要だ」

病棟と在宅をつなぐサポーティブケアセンター誕生

サポーティブケアセンター役割

2006年から坂下医師は外来で、がんによる痛みや症状の緩和治療にあたる。患者は自宅で過ごしながら通院するため、在宅での療養が難しくなると治療そのものが続けられない。
そこで2009年4月、坂下医師をリーダーに「サポーティブケアセンター」を発足。一般病棟および「緩和医療センター」と呼ばれる緩和ケア病棟と在宅医療を橋渡しするチームが誕生した(図)。地域の開業医や、訪問看護ステーションのスタッフと双方向に連絡を取り、一方通行の連携で終わらせないようにしている。患者が急変した時に緩和ケア病棟へすぐに入院できる「バックベッド」のシステム。これは患者や家族の不安を取り除くだけでなく、開業医にとっても心強い味方になるだろう、と緩和医療科部長の渡邉敏医師は語った。

患者と家族の“大切なもの”をチームで守り支えていく

緩和医療科 医師 坂下 美彦氏

がん治療は長い。その過程にはさまざまな局面がある。良かれと思いすすめた緩和ケアの申し出が、拒否されることもある。がんとどのように付き合っていくか。答えは患者や家族、一人ひとり違う。ただ希望が持てる時もそうでない時も、その人らしい生活が送れるように"大切にしているもの"を守り支えたい。「サポーティブケアセンターの名前の由来です」
言葉を選びながら話す坂下医師。その一言ひとことが深く印象に残った。

緩和ケアを通して患者も家族も医療者も変わる

センター師長 (緩和ケア認定看護師) 山岸 聡子氏

中心メンバーは坂下医師の他、経験豊富な看護師が4名。中でも、センター師長の山岸聡子氏は"お母さん"のような存在だ。「患者さんができることを見つけることで、生きる意欲を奮い起こしたい」数年前に出会った患者との出来事がきっかけになった。
40歳代の独身女性。完治が見込めず、緩和ケア病棟に入院してきた。自身の病状と将来への不安を思い悩み、食欲どころか生きる意欲すら失っていた。山岸氏は考えた。「1皿でもいい、とにかく食べてほしい」栄養士に色鮮やかな小鉢をたくさん用意してもらった。するとある時、患者が小鉢の1つに手をつけた。リハビリにも行くようになった。 「人は前向きになると変われるんです」

センター副師長 木村 由美子氏

木村由美子氏ら2名の看護師は地域との大切な連絡係だ。しかし最初の連携は、なかなかうまくいかなかった。80歳代の患者、「庭に降る雪をもう一度見たい」と望んだ。自宅近くの一般病院に訪問診療を依頼したが、患者がセンターへ戻ってきてしまった。医師は一度も往診に来ない。待合室で2時間も待たされる。申し訳なさで胸が苦しかった。それでも患者の希望は変わらない。木村氏は必死の思いで別の開業医を探した。その後、庭の雪を喜んだことを人づてに聞いた。「連携は人と人のつながり。どこへでも、誰にでも会いに行きます」はつらつとした笑顔だった。

「在宅で治療を続けるために、サポートを必要とする人が必要なケアを受けられる。求める側と求められる側の結びつきを、もっと地域に広めたい」JPAP®のオレンジサークル活動を通して、多くの方へ伝えたいことだ、と坂下医師は力強く語った。
サポーティブケアセンターを立ち上げて数ヵ月。看護師らが相談を受けるサポート外来や、精神科医や心理士が患者や家族の気持ちのつらさに対応する精神腫瘍外来が始まり、在宅支援の強化に向けて確実に歩み始めた。最先端のがん治療を行いながら、一方で緩和ケアの充実を図る。終末期医療ではない緩和ケアを実証する姿をここに見た。